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不流斎の日記

不易流行 不易を知らざれば基立ちがたく 流行をわきまえざれば風新たならず

塾不要 学習指導要領のプログラミングは小学生は家庭の日常生活の中でプログラミング思考を養うことが出来る。

小学生のプログラミングは家庭生活の中で養成できます。原則塾不要です。小学生のプログラミングの趣旨は学習指導要領でリテラシーを育成させることです。コンピュータのプログラミングと誤解しないようにしてください。

学習指導要領では、小学生のプログラミングの実施内容は小学校に任されているので、小学校ごとでプログラミング(リテラシー)の質が違ってきますし、プログラミングの格差も小学校と小学生各人のプログラミングの習熟度で違ってきます。

家庭の事情で塾に行けない小学生のために、私が立ち上げた「フィリア ライティング企画」で社会貢献のため安価で対応します。

うは、一言で言うと最低でも欧米の小学生並みのリテラシーを日本の小学生にも身に着けさせることを目的にしていることです。ですから、コンピーターのプログラミングと誤解しないでください。小学生からリテラシーを身に着け、はじめてプログラミングに入ることができます。

では、「小学生のプログラミングのリテラシーとは何ぞや」については、ウェキペディアでリテラシーについて、明快に解説してありますので、引用します。小学生のプログラミングの学習指導要領のリテラシーも全く同じです。

リテラシーliteracy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり(後述)、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。                               

日常生活の中に「素材」は無限に転がっています。やみくもに「プログラミング教室」に通わせても逆効果になることが目に見えています。学習指導要領改訂に伴い小学校のプログラミング教育がスタートしました。このプログラミング教育の目的は、プログラミングのスキルを鍛える(プログラマーやエンジニアを育てる)ことではありません。

専門職に就かなくても現代に必要な「プログラミング的思考等の思考法に親しみ、利用し、応用すること、世の中がコンピューターを高度に活用して動いていることを実感すること、自ら動かすことも不可能ではないと知り、試しに実践しながら学んでいくこと。』です。そういった背景を持って生まれたものなのですが、どうしても「プログラミング」という強力な用語のせいもあり、イメージを引きずられている人が多いのが現実です。

「プログラミング的思考」を育む手段として教室に通わせるのはとても有意義なことなのですが、「これからはプログラミングの時代だから」と、子どもに興味がないのに、やみくもに「プログラミング教室」に通わせても百害あって一利なしの逆効果になることが多々あります。

「プログラミング」そのものの知識やスキルは、あくまで「リテラシー」などと対になる、自己実現手段(の1つ)でしかないのです。子どもの「プログラミング的思考」を育てるために、親として家庭生活の中で何ができるのか、どんな工夫で出来るのか、考えてみます。

教科書不要、勉強ではなく日常生活の中に、ころがっているもろもろの家庭生活の出来事が「プログラミング的思考」を育む素材がいくらでも転がっているからです。

よくブラックボックスと言われる、内部の動作原理や構造を理解していなくても使える装置やソフトウェア、仕組みで、身のまわりや家庭生活の中で本当は見えないところでどんなことがどのような仕組みで起こっているのかよくわからない」というものがあります。

このブラックボックスの中身を想像・推測したり、本当にそうなのかを試してみたり、調べてみたりすることを遊びを通じて行います。

たとえば、「コンビニとかスーパーって、いろんな商品が売ってるよね。これって、どこからくるんだろう?」「お店が閉店してから翌日に開店するまでの間、お店の人たちはどんな仕事をしているんだろう?」「お店の隅によくある『関係者以外立入禁止』と書かれた扉の向こうには何があるんだろう?」等です。重要なのは、「想像する」「推測してみる」「本当にそうなのか疑問視(疑ってみる)」ことです。

子どもならではの自由な発想と行動力で、ほ笑ましいこと、奇想天外なこと、ときとして非常に鋭い発想で様々なアイデアを出してくれます。そこで父親や母親が「その商品はどこで作られ、どんなふうに作っているんだろう?」「ためしに、スーパーでお仕事をする1日を紙の上にかいてみよう」「お店の人に、扉の向こうがどうなってるか、聞いてみよう」というふうに子どもと一緒に進めていくのも楽しいし、良い意味で子どもとのコミュニケーションの場となり、一石二鳥です。

そのほか、自分で仮設を立てて考えることも重要です。例えば子どもと一緒に電車等の公共交通機関で出かける時に、スイカーやパスモ交通系ICカードを使って乗る駅と降りる駅でかざすとき、何が行われているのか、どうやって運賃を計算しているのか、ICカードには何が記録されているのかなあと、質問して自分の頭で考えさせることです。

身近な例としては、我々大人でも無意識にやっていて、分かっているようで良く分かっていない、台所や風呂の温度調節機能付き蛇口ハンドル(左に回せば温かく、右に回せば冷たくなる)の仕組みについて、一緒に考えてみること。

大人にとっては当たり前なこんな仕組みであっても、子どもにとってはわかった瞬間に「そうか! なるほど〜!」とうれしそうに反応すると思います。

ここで取り上げたこと以外には、家庭で子どもたちとの読書で、推理小説夏目漱石の「坊ちゃん」を読んで論理的に「自ら仮説を立て、考える。そんな段階を踏んで物事を理解する」という一連の思考プロセスを習慣化するのにも役立ちます。

重要なのは、「想像力」「推測力」「読解力」「クリティカル・シンキング」ことです。子どもならではの、自由な発想でいろいろなアイデアを出してくれます。

台所に立って、毎日の料理を子どもに手伝ってもらうことで、化学・科学・プログラミングの素養を身につけることができます。

たとえば、豚の生姜焼き、ハンバーグ、から揚げをつくるときの調味料や調味料の色、使う量、味噌汁、納豆ご飯等、調味料をなぜ混ぜるのか、配合は、焼き具合、味噌汁が煮立ち過ぎたときの様子等を子どもたちと会話しながら子どもが自分の頭で考えられるようにすることです。そうすることで、私も、僕も一緒においしい料理を作ったことの達成感が沸き、自分の頭で自然と考えるようになり、自頭強化になります。

親子で楽しくスーパーにお買い物で遊びながら、学べることはたくさんあります。昔は「魚屋さん」「お肉屋さん」「八百屋さん」「駄菓子屋さん」と、いろいろなお店をはしごして買い物をしていたことを教えて、スーパー等で今日買うものをリストアップしておき、どの場所でどんな買い物をし、最短距離と最短時間を調べたりするのも役立ちます。行き慣れたスーパーなら、何がどの辺りに売っているかを覚えてしまうものです。入口の右手が野菜売り場、左手が果物売り場、その奥が魚介類売り場、さらに奥に精肉売り場。うどんやラーメンなど乾麺類はここ、しょうゆや料理酒はここ、ドレッシングは、牛乳やチーズは、お惣菜やパンは、などなど。スーパーの店のなかにどんなものを置いてあるか一緒に紙に書いてみます。わからなかったところは、買い物に行ったときに調べて、帰宅してから自分で書いたお店の中の図に付けたします。

それから、スーパーなどに行くのに「最短経路」をゲームのようにしてチャレンジしてみるのも役立ちます。買い物に行くたびに子どもなりの試行錯誤が行われます。親はそれをサポートするだけ。家からスーパーまでの地図を使って、同じように最短経路はどれか、最も安全に行ける経路はどれか、を遊びながら探っていくのもいいですね。途中で出会う野良猫や雑草、植え込み、看板などについてあれこれ話すことも楽しみを倍増させてくれますし、リテラシーや想像力、クリティカル・シンキングに役立ちます。

小学生のプログラミング教育は、くれぐれも、コンピーターのプログラミングと誤解しないでください。小学生からリテラシーを育成することで、AIにできない読解記述力(理解・解釈・分析、記述・表現)を養うことが目的です。これこそが、AIにないクリティカル・シンキングとなり、自頭を強くし、言語技術教育にもなります。

以上のように、小学生のプログラミングには原則塾は不要です。どうしても心配な方、あるいは、片親等で中々難しい場合は、フィリアライティング企画まで問い合わせください。社会貢献として、通常の塾の半額以下で提供します。片親等で中々難しい場合は、ボランティアで対応させていただくことがあります。

 本日はこれで筆を置きます。