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不流斎の日記

不易流行 不易を知らざれば基立ちがたく 流行をわきまえざれば風新たならず

絶対おすすめ!! 動物愛護の本質を「徒然草」「方丈記」から問う

 

ifrmikio.hatenablog.com

 

コロナ禍の自粛生活で久しぶりに「徒然草」と「方丈記」を再度読みました。徒然草の中に現代でも十分通用する動物愛護の基本が書かれていました。又方丈記の冒頭のくだりの記述も現代の動物愛護に通用すると、再認識しました。

まず「徒然草」第121段 養ひ飼ふ物には、家畜として飼育するのは馬と牛、小屋につないで束縛するのはかわいそうだが、人間の生活に必要不可欠なものだからどうしょうもない。これは、人間と馬・牛は一つ屋根の上で寝食を共にし、人間との共同生活に必要だからです。犬は番犬として役立ち(雑種で問題なし)人間と寝食を共にし、必要不可欠とのことです。

徒然草では、上記の馬、牛、犬以外は駄目ということですが歴史の時代変遷を見ると猫が加わります。主にネズミ退治のための飼い猫です。日本史の歴史を現代まで見てくると、相当な変遷があります。現代では、馬、牛、犬、猫、鳥等殆どペットとして飼育しています。

しかし、徒然草で言っている動物愛護は、愛犬や愛猫、その他のペットでも飼育放棄は絶対にしてはいけないということです。どんなことがあろうと最後まで面倒を見るか、それがだめなら、保護団体に依頼し、しかるべき対応を取り、飼育放棄で保健所行から殺処分は、してはならないということです。

これが「徒然草」第121段 養ひ飼ふ物にはにおける動物愛護の精神です。なんと素晴らしい動物愛護精神です。是非、「徒然草」を、このコロナ禍で読んでください。

又「方丈記」の「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」この方丈記の内容も現代の動物愛護に当てはめると、上記の「徒然草」第121段 養ひ飼ふ物にも当てはまるし、現代の我々国民の世の中の移り変わと共にペット飼育にもあてはまります。

以上のようなアプローチで「徒然草」と「方丈記」を読むと我々人間の現代に至るまでの生きざまの変遷とそれに伴うペット飼育(動物飼育と愛護)の変遷を読み解くことができ、我々現代人よりも客観的に良い意味で、動物愛護を説いています。

このように見ていくと、ペットに関する裁判が少なくなってもよいはずですが、少なくなりません。そういう意味では「徒然草」「方丈記」のように動物に接していけば、動物虐待は減るはずです。

ペットは、我々人間と同じように愛護し寝食を共にして、決して飼育放棄や虐待はしないで、最後まで面倒をみることを教えてくれています。

本日はこれで筆を置きます。