不流斎の日記

不易流行 不易を知らざれば基立ちがたく 流行をわきまえざれば風新たならず

IQは高いがEQが低い日本の政治家のスピーチ力は本当に酷い!!

日本の政治家は軽くて不適切な発言が多い、前総理もそうだし、現総理もそうだし、西村大臣は極め付きです。東京に四度目の緊急事態が出され、東京オリンピックの開幕が迫っているのに、不適切な発言が多いので我々庶民は何をいってるのか、どう行動すべきかモヤモヤ、イライラ感が増幅するばかりです。

火に油を注ぐようにあまりに容赦ない非常に軽い不適切な言葉が多すぎて、これでは何回緊急事態宣言を発出してもコロナの感染拡大を防ぐことはできません。極め付けは、西村大臣の「飲食店いじめ」いや、飲食店に対する「酒類提供停止に応じない飲食店に対する『取引金融機関から遵守働きかけ』『卸業者への取引停止要請』」発言でした。明白なパワハラ発言です。すさまじい反感を買い、「私の発言で混乱を招き、また飲食店の皆様に、特にですね、不安を与えてしまう、与えることになってしまいました。趣旨を十分に伝えきれず、反省しているところであります」と“謝罪”しましたが、内容をきちんと伝えられなかったことを反省しているわけで、「発言そのものが問題であった」とは捉えていない印象を受けます。

なぜ、ここまでわれわれの不興を買い、怒りをかき立てるのでしょうか。西村大臣といえば、「灘高→東大→官僚→国会議員」というピカピカのエリートです。IQの高さはお墨付きです。どうも、話し方に血が通っていない。「『人の痛みや苦しみ』に鈍感なのでは」という印象うけます。EQが小学生低学年以下かもしれませんね。

激務で疲れていると思うので、一方的に攻め立てるのは気の毒なように思いますが側近、官僚など、周りに「さすがにこれはまずいでしょう……」とアドバイスする人がいなかったことは非常に残念です。押し切ったのかもしれませんね。人としての「温かみ」に欠けるこういうタイプは、「上下関係で物事を判断し、上にはおもねるが、下は人扱いしない」というところがあり、西村氏も周囲の職員が何人も辞める「パワハラ体質」だったという話も漏れ聞こえてきます。

西村大臣のような人としての「温かみ」に欠けるこういうタイプは、「上下関係で物事を判断し、上にはおもねるが、下は人扱いしない」というところは、何も政治家、官僚だけでなく、財団法人、公益法人、一般社団法人、民間企業にもゴロゴロいます。

今、リーダーに必須なのは、「IQ」よりも「EQ(こころの知能指数)」だとされています。「EQ」とは「自分や人の感情を理解し、共感し、人間関係を構築する力」を意味しますが、欧米ではこの「IQ vs. EQ」の議論が盛んで研究が進んでいます。人の成功の8割、もしくはそれ以上が「EQ」で決まるという説もあるほどです。

欧米の研究によると、政治への不信感が強い近年、海外の政治家は、堅苦しく冷たい印象の「プロの政治家」というイメージを払拭し、「私たちと同じ」という庶民的で等身大のイメージ醸成する方向にシフトしています。        

「親しみやすさ」と「人気」は極めて強い相関関係があると言われています。現代の政治家にとっては、市民に寄り添い、「あなたの気持ち、よくわかりますよ」と強い「共感力」を見せていくことが不可欠だということなのです。世界の民主主義国では求められるリーダー像が、トップダウンで一方的に指示する「教官型」から、寄り添い、励ます「共感型」へと変わってきています。日本の政界や経済界ではまだ、そのパラダイムシフト、思考の転換ができていないようです。この国の政治家の「上から目線感」「『俺たちは上級国民』臭」は目に余るものがあります。

やはり、ドイツのメルケル首相やフランス大統領のように、庶民感覚で、庶民に訴えかけるスピーチをまね、見習い、実践してほしいです。

如何せん日本の政治家の「上から目線感」「『俺たちは上級国民』臭」は目に余るものがあります。これは経済界や一般の民間企業等を含めて全般的に言えることです。庶民に対して「無神経」「世論に鈍感」であることも意味します。           

星野源の曲に合わせて優雅にお茶を飲んだ安倍前首相の動画やアベノマスクなどが、まさに「tone deaf」と海外メディアにも嘲笑されたわけですが、彼の「鋼鉄の鈍感力」がまさに象徴的です。そして、ダメ押しがつい最近の「歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の(オリンピックの)開催に強く反対しています」と、ある雑誌のインタビューで答え、ひんしゅくを買いました。

安部前総理は、われわれ国民というよりは、「野党や一部のメディア」など彼の忌み嫌う人たちを指したつもりだったようですが、一国の宰相であった人が「反日」などといった言葉をむやみに使うのは、決して賢い選択とは言えません  

自分の敵に対して、安易なラベルを貼り、愚弄するやり方はトランプ前大統領とまったく同じであり、分断を招くやり方です。「彼を支持する人たちだけが喜ぶメッセージを発する」という意味でもトランプ氏によく似ています。まさに、右傾化になっています。安部前総理は、最高裁判所に圧力をかけ、最高裁判所判事(裁判官)任命は、都合の良い、息のかかった裁判官任命は、当時の官房長官現総理の菅氏が取り仕切っていたそうです。したがって、最高裁判所は右傾化が強くなっています。日本の総理もバイデン氏と同様に、日本の総理大臣が変わらないと駄目かもしれません。

このインタビューの内容が非常に残念なのは、終始、「野党、特定のメディア憎し」感に貫かれ、国民に寄り添うメッセージがほぼなく、政敵の批判と自らの功績の披瀝に終始したことでした。不安や不満や悩みを抱える国民の立場に立つのではなく、あくまでも「上から目線」でオリンピックの意義を、こう説きました。いかにも「日本人の国威発揚、しいては支持率アップのためにオリンピックはある」といったメッセージは、「世界平和」を旨とする五輪憲章とも異なり、彼自身が野党批判に使った「五輪を政治利用している」というコメントがそのまま当てはまるような印象さえ受けます。

日本のほとんどの政治家が、「どうやったら国民に届くのか」「国民の納得や理解を得ることができるのか」などまったく頭になく、言いたいことを言いっぱなしです。

多くの先進国では、「コミュニケーションのプロ」が政治家をサポートし、「どういう物言いで」「どういった形で」伝えれば国民の納得が得られるのかを分析しています。そうやって緻密に戦略化すると同時に、政治家自身も、弁論や演説のプロであるのが当たり前です。しかし、日本では保育園や幼稚園から社会人や政治家、官僚等になるまで最も重要である「言語技術教育」をされてこなかったのが大きな失敗です。そして、この国には、そうした専門家はほとんどいませんし、政治家自身がコミュニケーションに関しては、まったくのアマチュアです。

アメリカやオーストラリア、イギリスの政治家などと比べると日本人の政治家のコミュニケーションで特に劣っているのは、次の3点です。            

1つ目「視線のずれ」コミュニケーションにおいて最も大切なのは、徹底した「相手目線」。自分の言いたいことをただ言いっぱなしでは相手の理解も共感も得られません。「聞き手の気持ちを慮り、その立場に立ってモノを言う」。それが、コロナ禍で支持を集める世界のリーダーの共通項なわけです。よく、「権力は人を腐敗させる」と言います。今の日本の政治家や経済界等では「権力を持って共感力を失った」のか、「共感力のない冷徹な人だからこそ、権力を持つようになる」両方ですね。日本の多くの政治家や政財界、企業や役所では、「パンがないならケーキを食べればいい」と言ったという伝説のあるマリー・アントワネットのように「庶民感覚」をなくしてしまっているのかもしれません。ソクラテスは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」と言いました。私が最も尊敬する田中角栄氏が愛されたのは、まさにこの「平民の言葉」を使っていたからでしょう。そっけなく、気持ちのこもらない「お上の言葉」は即刻、全面的に見直しをすべきです。

2つ目は「『抽象的』で『何の絵も浮かばない』言葉」ばかりを使っていることです。安倍氏が使ったような、「感動」や「絆」といった抽象語は人の心を微動だにも動かすことができません。感動は押し付けられるものでも、与えられるものでもありません。まったく刺さらない抽象語を多用するのも、昨今の日本の政治家の特徴です。先日の会見でも、菅首相は「安心・安全の五輪」を連呼していましたが、こうした抽象語は聞き手の心に何のイメージも喚起しません。何をもって「安心・安全の五輪」なのか意味不明です。「全人類の努力と英知」であるとか「子どもたちに夢と希望」など、まるで「昭和歌謡の歌詞」や「浪花節」のような使い古された言葉では心に響きません。たとえや具体的な事例、物語、インパクトのある数字やデータ、画像、動画などを活用して、「『死んだ言葉』を『生きた言葉』に置換する地道な作業」が必要なのです。

3つ目は「なぜ」です。「なぜ、緊急事態宣言が必要か」「なぜ、オリンピックを開くのか」。今、われわれの頭の中には数多くの疑問や不明点が渦巻き、何ひとつ満足のいく回答が得られていません。人を納得させるために、最も必要なのはその「なぜ」という疑問に答えてあげることです。犯罪や事故のニュースを見て、何を思いますか? 「なぜ、起きたのか、起こしたのか」が重要ですよね。人は昔から根源的に「なぜ」「Why」を探求する生き物です。そこがきっちり説明されないことに異常にもどかしさを覚えるのです。残念ながら、日本の政治家の多くは、「なぜ」の大切さを理解せず、ロジカルにわかりやすく説明する力が欠如しています

我々国民は、多くの日本の政治家のような意味不明なスピーチ、何度もよく聞かないと論理的であるが超長ったらしい文書を書く官僚とそれを棒読みする日本の政治家や経済界、財界、企業のようにならないように、我々一人ひとりが遭遇する問題に対してリテラシーを忘れずに実践することです。

本日はこれで筆を置きます。